2000年以上にわたる長いブルゴーニュワインの歴史

シャンベルタン-クロドベーズ

長い歴史を持つぶどう畑で伝統と技が今も受け継がれているのがブルゴーニュワインです。ブルゴーニュの歴史を知るとその大きな価値がすぐに理解できます。

修道僧とぶどう畑の誕生

 

ブルゴーニュのぶどう畑は、修道僧によって忍耐強く築かれ、歴代のブルゴーニュ公によってその名声がもたらされました

 

紀元前1世紀中ごろ以降:ケルト部族がブルゴーニュ地方に定住し、ガリア人と呼ばれました

紀元前52年:ガリアがローマ軍に敗れ、ローマ帝国の支配下になる、この頃からすでに丘陵にぶどうが植えられ「ガリアのワイン」としてローマの風刺詩にも出てきます。

5世紀初頭:スカンジナビアのブルグンド族による侵略でローマ帝国が破壊されます。名前の由来となったブルグンド族の定住によりブルゴーニュ(Bourgogne ブルグンド国)になりキリスト教化されます。

910年:ベネディクト派のクリュニー修道院、1098年:シトー修道院が設立されます。 ブルゴーニュのには多くの修道院があり、これらの修道院で修道僧たちがミサ用のワイン造りに携わり、ぶどう栽培の発展に関与し、11世紀にはすでにそれぞれの土地のクリマ(Climat 小さく区分けした畑)を初めて格付けしました。さらに特に質の高い、優れた土地を石垣や塀で囲い「クロ」と呼びました。いまでも「クロ」の名前は畑に残っています。

14世紀:ブルゴーニュ公国が築かれ、14-15世紀に最も隆盛を誇りました。ブルゴーニュワインは上流階級のあいだで飲まれるワインになって、ヨーロッパ各国の宮廷や教皇庁にまでワインを流通させていました。

14世紀末に病虫害によって「ピノ・ノワール」の畑が壊滅的な状態になり、病虫に耐性のある「ガメイ種」を植えた畑が増えました。ところがガメイ種では品質のよりワインが造れないことがわかました。ブルゴーニュ公国のフィリップ豪胆公がブルゴーニュのぶどう栽培の質を高めるために、ブルゴーニュ地方からガメイ種(Gamay)禁止令をだして追放しました。

 

赤ワインのぶどうを「ピノ・ノワール種」のみにするという判断は後のブルゴーニュワインのアイデンティティを決定する重要な要因になりました。

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フランス王国への併合とフランス革命

修道僧から貴族階級へ、そしてブルジョワジーや市民が畑を所有

15世紀:フランス王国との争いに敗れ、ブルゴーニュ公国はフランス王国に併合します。フランスの宮廷でブルゴーニュワインがもてはやされフランス全土にその名声が響き渡りました
ブルゴーニュにぶどう畑を所有することが貴族のステイタスにもなりました。上流ブルジョワ階層や貴族階級が、衰退しつつあった修道院からぶどう畑を引き継いでいきます。

「ロマネ・コンティ」の畑はコンティ公ルイ・フランソワ一世がポンパドゥール夫人と争った結果、コンティ公ルイ・フランソワ一世が所有することになり、名前の由来となりました。

18世紀:修道僧、次にブルゴーニュ公の下で栄え、クリマ(Climat 小さく区分けした畑)の区分けや格付け、ぶどう畑の整備や品質管理など何世紀にわたり、繁栄し、名声を高め、「テロワール」(土壌や気候などの自然条件)を構築し続けてきました。

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フランス革命とぶどう畑の分割、ドメーヌの誕生

 

1789年フランス革命以降:貴族、聖職者の所有地が没収国有財産となり、すぐあとに競売にかけられました。競売によりブルジョワジーや市民の多くがブルゴーニュの畑を所有しました。これにより多くの畑が分割され一つの区画が小さくなり、造り手(ドメーヌ)も小規模な家族経営が多くなりました。例えばクロ・ド・ヴージョは今では100近い所有者によって分割所有されています。この時ロマネ・コンティの畑はコンティ公から剥奪されましたが、名前はそのまま残っています。

1790年:フランスに県が制定され、ブルゴーニュは3つの県に分割されます。ヨンヌ (Yonne, シャブリ地区)、コート・ドール(Cote d’Or, コートドール地区)、ソーヌ・エ・ ロワール(Saone-et-Loire, コートシャロネーズ地区、マコン地区)の3県です。

ネゴシアン制度の発展と「フィロキセラ」害虫による災害

19世紀:ブランス革命の後、ブルゴーニュではネゴシアン制度が発展します。ネゴシアン(Negociant:ワイン商、生産者からぶどうを買って醸造・熟成・瓶詰・販売する会社)が小さな農家からぶどうを買い、ワインを売り、瓶詰も行いました。

ブルゴーニュは黄金期を迎え、はるかロシアやアメリカまで輸出されるようになります。

また醸造学上の技術的発明時代でもあり、公式格付けの時代でもあります。

しかしすぐ後にぶどう根アブラムシ「フィロキセラ」という害虫により破滅的な災害になります。その後「フィロキセラ」に耐性のあるアメリカの台木に接ぎ木され、30年の歳月をかけて、改植が完了しました。これを機に最上の土地だけにぶどうの樹を秩序立てて植え替えられ、それによってワインの質が飛躍的に向上し、テーブルワインの生産は終わりました。ブルゴーニュワインは高いといわれますが、テーブルワインなどの安いワインは生産していないのです。この点でレンジが幅広いボルドーワインとは大きく異なります。

「フィロキセラ」による災害により、ぶどう畑のより効率的な編成をもたらし、ワインの質が向上しました。

20世紀:アペラシオンの正式な格付けが誕生します。ブルゴーニュのワインの生産者たちはワインの販売促進のため、「コンフ ェリー・デ・シュヴァリエ・デュ・タストヴァン」(ブルゴーニュ利き酒騎士団)を設立します。

現在のブルゴーニュワイン委員会(BIVB)の前身となる「ブルゴーニュワイ ンに関わる業者間の横断的組織」が初めて誕生します。

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