パリの南東約65㎞に位置する街で、イル ド フランスで指折りの美しい森に囲まれ,森の中に華麗にたたずむ宮殿が、フランス ルネッサンスの傑作といわれる「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」です。
フランスで最も大きい宮殿とされ、12世紀のカペー王朝の時代から19世紀ナポレオン3世の時代まで歴代の王が居住し、愛されてきたフォンテーヌブロー, 特に皇帝ナポレオンはこの宮殿を愛しました。1981にユネスコの世界遺産に登録されました。
目次
16世紀 フランソワ1世
フォンテーヌブローの森は王族の狩猟の森として知られ、12世紀のカペー王朝の時代には、狩猟用の城館がありました。16世紀にヴァロワ朝フランソワ1世が、イタリアから数々の建築家や芸術家を招聘しルネッサンス様式の宮殿に建て替えさせました。フランスで最初にルネッサンスが開花したのはフォンテーヌブローでした。
その後フランソワ1世からルイ16世まで7人の国王が、それぞれ自分の好みに応じて改築増改築が繰り返されたため、中世から18世紀末までの建築様式の移り変わりを見ることができます。HやNなど異なる王のイニシャルがところどころに見られます。
宮殿と共にフォンテーヌブロー庭園も世界遺産に登録されており、ルネサンス庭園と英国式庭園があります。
ルネサンス庭園は、16世紀にフランソワ1世とアンリ4世によって整備されました。幾何学模様が図案化された花壇は、ここで初めて造らました。
英国庭園(Le Jardin Anglais)はナポレオン1世によって再整備され,現在の形に整えられました。庭園の中央にはアンリ4世によって造られた噴水, 狩猟の女神ディアンの噴水があり、この庭園はディアンの庭園(Le Jardin de Diane)と呼ばれています。
三位一体礼拝堂(La Chapelle royale de la Trinite)
フォンテーヌブロー宮殿には3つの王室礼拝堂があります。これらの3つの礼拝堂は2層で構成されており、王家は階上席でミサに参加しました。その中の1つ、三位一体礼拝堂は1259年にルイ9世によって建てられた礼拝堂で、アンリ4世やルイ13世がルネッサンス様式に改修。王族たちはここで神に祈りを捧げ、1725年にはルイ5世の結婚式や1810年にはナポレオン3世の洗礼式、結婚式などが行われました。
皇帝ナポレオン
王の寝室があった部屋はナポレオン1世によって王座の間(La Salle du Trone)に変えられました。以前王のベットが置かれていた場所には王座が置かれています。
白馬の中庭(La Cour du Cheval Blanc)
フォンテーヌブロー宮殿の入り口には、馬蹄形の階段が続きます。「白馬の中庭」の名は、かつてローマ皇帝マルクス アウレリウスの騎馬像が置かれていたことに由来します。
1814年にナポレオンが退位を退き、エルバ島へ流刑される朝、この中庭で臣下たちと別れを惜しんだ場所で、「別れの階段」と呼ばれ,フォンテーヌブロー宮殿の最も有名な場所になりました。
まとめ
フォンテーヌブロー宮殿はフランス革命時に家具調度品が奪略され荒廃しますが、ナポレオン1世により再びよみがえり今に至ります。ルイ15世の翼館2階にあるナポレオン1世美術館にはナポレオン1世やその一族が所有していた家具、美術品、絵画、彫刻、武器、衣装、陶器など500点以上のコレクションがあり、なかなか見ごたえがあります。
ヴェルサイユ宮殿ほど有名ではないためか、混雑もなく、ゆったりと訪問できました。
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