質、量ともに、史上最大級の大回顧展「没後50年 藤田嗣治展」
昨日上野の東京都美術館で「没後50年 藤田嗣治展」を見てきました。
製作年順に並べられ、藤田嗣治(ふじた つぐはる レオナール・フジタ 1886-1968)が時代とともにその気持ちや考え方を変え、作風が大きく変化していくのが良くわかる素晴らしい展示でした。
展示は製作年とともに、とても分かりやすく「肖像画「風景画」」「裸婦」「宗教画」のテーマに分けてありました。
没後50年 藤田嗣治展を見ながら、明治の時代にフランス、芸術の都パリで画家になるという当時では考えられないことを実現した藤田嗣治への尊敬とともに、それを気持ちよく承諾し、送り出した理解あるお父様も偉大な方だったと思いました。エコール・ド・パリを代表する画家になるという偉業を成し遂げたのも、もちろん本人の努力もありますが、家族の理解があってこそです。
渡仏して最初の頃の作品で驚いたのは1910年代のパリのモンパルナスの風景で、今では考えられないくらい田舎だったということです。色調が暗めの作品ということもあり、パリとは思えない寂しい風景でした。藤田嗣治が異国の地フランスで不安がたくさんあったのかもしれません。
数々の戦争の時代に生き、それに伴う多くの困難を乗り越えながら日本とフランスを行き来した藤田嗣治の人生を振り返って、明治の時代に、どこまでも自分のやりたいことや好きなことを追求し続けた人生だったと思います。日本では生前あまり評価されなかった藤田嗣治がフランスできちんと良い評価を受けられたことは良かったと思います。時代背景もあると思いますが、異邦人を受け入れるフランスの懐の深さを感じます。
藤田嗣治の独自の手法「乳白色の下地」
1921年、サロン・ドートンヌで絶賛を集めた、藤田嗣治の有名な「乳白色の下地」は透き通るような、白い陶器のような、美しい色で、他の肌色で描かれた裸婦と比べるとその素晴らしさがよくわかり、魅了されました。「乳白色の下地」はいまだに解明されていない藤田嗣治の独自の手法です。
藤田嗣治の作品の中でとてもシックな色調のものが印象に残りました。
特にニューヨーク時代にフランスへの強い想いを持ちながら仕上げた作品が、一番素敵でした。藤田嗣治の人生経験や様々な異国文化が作品に表れているように思います。
最後はフランスへの強い愛で渡仏、フランス国籍も取得してフランスで骨を埋めました。
この「没後50年 藤田嗣治展」は10/8まで開催しています。是非見にいくことをおすすめします。
その後、京都国立近代美術館にて10/19-12/16「没後50年 藤田嗣治展」が開催されます。関西地区の方は是非。
2018.10.10追記
東京都美術館は10/8に終了しましたが、30万人の入場者とのことで、相変わらずの人気です。この後の京都での展示も期待されます。
薔薇のロゼシャンパン
藤田嗣治をサポートしたシャンパンのG.H.マム社が藤田嗣治へのオマージュとしてロゼシャンパンに彼が描いた薔薇をミュズレ(シャンパンのコルクの上の押さえ)に使用しています。
今は「ロゼフジタ」としてボトルの口にラベルがあります。
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